haiku(2011-06-07)から転載

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2005年第19回日本エイズ学会学術集会の「薬害エイズ問題から見えてくるもの」の紹介。

関西弁護団の徳永弁護士「さまざまな立場からの見方はあったが、「産官学(産官医)が癒着して、エイズの被害が生まれた」という、いわゆる薬害エイズ神話は間違いであり、そこを乗り越えないと、真実も、今後に役立つ教訓も導き出せない、という点では、一致したと。そして、癒着というよりは、責任の所在をはっきりさせないまま、あなたまかせになっていたという方が、より真実に近いのかもしれないとのこと。また、被害が起きた後の社会は、ジャーナリズムともども、犯人探しに終始してしまい、今のその後遺症が残る」

最近の原発事故に対する世間の関心のありようと一緒だよな。

人々は、原発事故に対して不安や怒り(この怒りは不安が高じて生じたもの)を感じていて、この不快感情を払拭することがこの事故に対する行動の動機になっている。そして、犯人を捜して関係するシステムから排除するというパターンは、不快感情の払拭に有効なものとして文化的に共有されているのかもしれない。あるいは、犯人探しではなくて、権威とそれに連なるものの更新なのかもしれないけど、いずれにせよ、人々が求めているのは、問題の解決ではなくて不快感情の払拭である。もしかしたら、犯人の排除あるいは権威の更新というパターンが、社会的問題の解決において進化論的に有効な時代が長くあったのかもしれない。そうであれば、それらのパターンが感情の発生と払拭のシステムと結びついて、今でも人々を動かしているのかもしれない。

このような感情ー行為システムによって駆動される行動が合理性を持たないのは、よくある話のような。ここで、合理性を持たないというのは、その行動が合目的的ではない、ということ。その行動の目的はあくまで不快感情の払拭であり、きっかけとなった社会的問題の解決を目的としてはいない。もちろん、結果としてその問題を回避することにつながっていたからこそ、そのようなシステムが存在するわけだが、感情ー行為システムのような固定的なシステムは、必ずしも問題を本質的に解決するわけではない。たとえば、薬害エイズ問題は確かに解決したが、その後同じような問題(薬害肝炎とか)はいくつも発生している。同じ轍を踏まないようにするためには、感情ー行為システムに依存しない、合理的な問題の分析と解決法の提示が必要だ。おなじことを、今の原発事故にも感じる。

この感情ー行為システムに乗っかって行動するもののうち、マスメディアの罪を指摘したい。「薬害エイズ神話」なるものを構築して大衆に提示したのは、マスメディアではなかったか。もちろん、大衆がそれを受入れたからこそ、それが神話になったわけだけれど、大衆がそうしたのは、そのような解釈の枠組みが不快感情の払拭に適しているという直感があったからだと思う。その結果として真実がうやむやになり同じような薬害がくり返されるのだとしたら、マスメディアがしているのは、問題の解決ではなく大衆の短期的な精神衛生維持である、ということになる。 今日、原発事故の事故調査・検証委員会第1回会合があったけれど、合理的な調査と評価を期待したい。