haiku(2011-06-26, 07-29)から転載

福島第一原子力発電所 被災直後の対応状況について(東京電力)』

http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/110618l.pdf

17ページまで読んだ。なんと言うか、これは始まる前から勝負は決まってた感じ。12日の爆発が起きるまで、建屋が吹っ飛ぶとは思っていなかったなんて、その時点でもうダメじゃん。あと、11日21時台に原子炉建屋内で線量の上昇が確認された時に、どう考えてたんかね。当然に炉内から建屋へのリークしか有り得ないわけだけれど、今から思えばこの時点で爆発の可能性を考えとかなきゃだったと思う。あと、炉水位が正しくモニタリングできてなかったわけで(11日21時過ぎでも計測値としてはTAF+500mmとかだった)、この点は後世への教訓とすべき。

全体として、過酷事故を起き得るものとして考えてなかったことが敗因なのでは。もしそうだとすれば、これは当然に東電の責任な訳だけれど、一方で、それを考えることを邪魔していたものに世間の視線(「過酷事故なんて許容できるわけが無い」という思い)があったとすれば、そのことも検証すべきだと思う。

どんな技術でも事故は起き得る。原発事故が決して許容できないのであれば、原発は現実には存在し得ない。今の反原発を当然とする風潮は、そういうことなのだ。そこが、飛行機や他の技術と違うところだ。飛行機事故は何百人が死んでも許容できるけれど、原発事故は誰ひとり死ななくても許容できない。人の手に余るのは、安全運転のための技術ではなくて、事故を許容させない恐怖感だ。

 

11日21時台の建屋への放射能漏れが、地震による配管等のダメージのせいなのか、炉心溶融による原子炉と格納容器の損傷のせいなのか、どっちなんだろね?