haiku(2014-01-11)から転載

以下、全文を引用「@ando_ryoko @J_Tphoto ええ、それも含めて、私は「福島のエートス」を安東さんが主宰される地域型勉強会と昔も今も理解しています。ロシャールさんとか有名な方がサポートして下さっていることから陰謀論を言う人がいますが私はそれに組みしません。」

福島のエートスを勉強会っていうのは違う気がする。勉強は必要があるからしてるのであって、結局の目的は、浜通りのあの場所でこれから生きていくためのやり方を当事者それぞれが手に入れるための”場所”を提供することなんじゃないか。なにか身につけるべき権威付けされた知識があってそれを勉強すれば良いのなら、そうすればいいけれど、それじゃ何も解決しないんだって言うのがそもそもエートスが始まるきっかけなんじゃないか。それは浜通りでもベラルーシでも同じなんだ。だからこそ、あれはエートスを名乗っているんだと思う。 なので、「有名な方がサポート」っていうのも違うと思う。だいたい、土地の年寄りたちはジャック・ロシャールが何者かなんて知らなかったわけだし、彼がその筋では有名だとしても、エートスにおいてそれは何の意味も持たない。たまたま彼が有名だというだけのことで、そこに意味があるわけじゃない。

ダイアローグセミナーが一体どのように機能しているのか、どういう意味を持っているのか、それは、参加者やギャラリーそれぞれによって違うのだろうけれど、私が感じるのは、「福島を見捨てない」という意志を持って実際に手足を動かして活動している人たちが居るのだということ、そして、それが福島に住む、あるいは、住みたいと思っている人たちにとって力になっているらしいということ、そういうことを感じられる場所である、ということだ。なにか統一的な見解とか解決法とか、そういうのをまとめるのが目的ではないんじゃないか。そういうんじゃなくて、個人個人が現状を改善するための具体的な活動を継続する力を手に入れる、みたいな、統一的というのとは正反対の、もっと個人的な、それぞれの思いや感じ方に依存した精神的あるいは実際的な何かをそこから汲み出していく、そういう場なんじゃなかろうか。

とても抽象的になっちゃって、なんかよく分からないんだけれど、とにかくあれは、普通の会議じゃない。なにか結論とか成果とかをまとめるなんて無意味なものだと思う(あと10年くらいしたら、いっぱいの目に見える成果が出てくるかもしれないけれど)。

放射能がなぜあんなに人の気持ちを動かすのか、どうすれば手なずけることができるのか、それを知りたいと思ってきたのだけれど、ダイアローグセミナーの機能はそれと裏腹なんだという気がする。だから、それが何なのかが分かる時には、放射能をどう扱えば良いかも分かるのかもしれない。そして、それは放射以外の、人の気持ちを動かすいろんなものについて考えることにきっとつながっているんだと思う。