haiku(2014-03-13)から転載

kabumatome.doorblog.jp

報道ステーションは通常営業な訳です。まず、1つ言いたいのは「戦前・戦中の報道についてもっぺん勉強して来い」。この手の輩が戦争を煽り、戦後は軍部の責任とか言うんだ。

これは一種の炎上商法で、人の不安につけ込んでいる。やってるほうは、経済的な利益を上げるだけじゃなくて、自分は社会の木鐸であるという満足と木鐸たることに対する賞賛を得るのも大きな動機なんだろう。一方、不安を持て余している視聴者は、自分の不安が共有されることで慰撫される。あるいは、原因たる悪者が特定されることが安心をもたらすかもしれない。そういう利益を視聴者は得ている。こうやって、番組をやるほうも見るほうも互いに利益を得ている。だから、こういう番組が無くならない。人は利益を得るように行動するからね。でも、その利益が気持ちだけのもので実際には損失を生むから、困るんだ。

利益を得るように行動しているけれど、実際には損失が生じている。この矛盾は、ひとつには利益を得る人と損失をこうむる人が違う、ということから生じる。ああいう番組見て喜ぶのは本当に切迫した状況にはいない人だと思う。本当に困ってる人はちゃんと現実と向かい合って勉強もしてるだろうから、番組のいい加減さが分かるしそこから生じる損失が見える。そういう人が被害者だ。もうひとつはもっと根源的なことで、そもそも、気持ちの上で利益を生じたとしてもそれが現実の利益につながる保証は無い、ということ。不安が解消しても元となる危険が解決したとは限らない、あるいは、不安を感じなくても危険なことはある、ということ。つまり、不安と危険は実際には一対一対応していないのだ。不安が危険の予兆であるなら、不安に思ったらその危険について現実的な評価をしなければ、現実における危険を解消することはできない。なのに、報道ステーションみたいなものは、心の不安を慰撫するだけで現実の危険について合理的な評価をしない。しないどころか不安を煽って現実を反映しない方向へ人々を煽動している。その結果として、危険が解消しないどころか風評被害などを生じている。要するに、不安は単なるモデルであり、合理的に評価しなければ現実には意味がない、ということ。

人が利益を得る(=快感情を増加させる)ように行動するとき、感情が現実に直結しているという誤認識が人々を誤った方向へ駆動している。似たような例として、

宋美玄 「女のカラダ、悩みの9割は眉唾」 - うさうさメモ

d.hatena.ne.jp

誰か説得してください(魚拓)

megalodon.jp

そうそう、テレ朝なのになんで朝日の大岩記者じゃなくて毎日の日野記者なんだろ。テレビと新聞って仲悪いの?