haiku(2014-08-01)から転載

「心根が善であることは、その振る舞いが善であることを、担保しない。」地獄への道は善意で何たらとか言うしね。でも、その人自身はそれを善だと思うからこそするわけだ。ということは、その行為が善かどうかは誰が評価するかで変わってくる。で、その行為が他人に影響するようなものであれば、社会における評価というのが必要になる。本人が良いと思ってても社会ではNGみたいなことはあるわけだ。で、それじゃ社会における善とは何か。ある行為が他者に及ぼす影響について、その善悪をどう評価するのか。

善悪の基準は主観である(と私は思ってる)ので、匿名の他者に与える影響の善悪について客観的な評価は不能だ。となれば、可能な評価軸としては利益の量がある。利益の評価も主観的だけど、善悪よりは他者と共有できる程度が高いと思う。なので、社会的な行為について、それが社会にとって受入れられるかどうか、社会にとって価値があるかどうか、は、その行為によって生じる利益の量で評価すれば良い。のかな。

ていうか、他人の利益になるような事を為すのが、善なんじゃないのか、そもそも。善をなすと快感だから人は善を為すわけだけれど、じゃ、何が善なのかというのはその人の中でどのようにして決まるんだろうね。そこが現実と正しく対応していないのが問題なのか。