haiku(2018-09-19)から転載

『《サン・チャイルド》設置について』

http://www.yanobe.com/20180810_KenjiYanobe_Statement.pdf

大気が綺麗になったことを表すようにヘルメットを脱いで深く息をし、胸のカウンターは安全を示すゼロになっています。もちろん、自然放射線があるので、空間線量がゼロになることはありませんが、「原子力災害のない世界」という象徴的な意味を込めました。

作者の意図がこれだとすれば、これを福島市に置くことに嫌悪感を示す福島市民がいることは当然だと思う。なぜなら、この像が示しているのは、一度は汚染による危険な状態があったということだから。 福島市内に事故による放射能汚染はあった。でも、汚染によって危険な状態になり、その後、除染等によって安全が回復した、のではない。事故の後、汚染はあっても、危険な状態はなかった。ヘルメットを取る以前に、ヘルメットをかぶる必要がそもそもなかったのだ。それなのに、この像は、その場所がかつては汚染によってヘルメットが必要だったということを示している。これは、福島市をはじめとする福島県の大部分が今だにこうむっている「風評被害」の風評そのものだ。

また、胸のカウンターがゼロになったら安全というのは(カウンターが示す数字が空間線量率でもリスク指標でも)、いわゆるゼロリスク信仰そのものだ。このゼロリスク信仰もまた、福島県をさいなむ風評被害を生む心理的土壌である。 こういう話をいい加減にせず、きちんと理解して、当事者の気持ちに対応することができないなら、そういうものは福島県の外でやればいい。福島県には、事故の当事者となることで、リスク概念を通じた安全管理を学び身につけた人達がいるのだ。そういう人達に旧態依然の原子力災害に対する感情を押し付けたって、何の意味もないじゃないか。

「サン・チャイルド」像に対する不快感を理解せず、その不快感の表明を不寛容だとか「福島で放射線の話題に触れちゃいけない」「福島はめんどくさい」と評する向きもあるようだ。というか、この不快感がほとんど当事者以外に理解されていないように見えるのが恐ろしい。

b.hatena.ne.jp

 

原子力災害のない世界」というのが原発のない世界なら、それは原発をなくすことで生じるリスクのためにヘルメットが必要になる世界かもしれないのに、何ともお気楽なことだと思う。