2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の影響で、東京電力福島第一原発(以下、1Fと表記)で燃料の冷却が不能となり、燃料が溶け落ちて原子炉が損傷するという事故が起きてから早13年。事故以来、増え続ける汚染水(損傷した核燃料により放射能汚染した冷却水と建屋の地下に流入する地下水が混ざったもの)を浄化処理してタンクに貯め続けていたのを、ようやく海洋放出という形で処分することができるようになったのが去年の2023年。8月24日に放出を開始してから1年が過ぎた。
去年、海洋放出開始直後にfilinionさんのエントリー
について、事実誤認があるとしてエントリーを2つ書いた。
一年たって読み直してみて、追加して書いておきたいことがあったので、忘れないうちに書いておこうと思う。こういうことは、時間が経つと失われてしまうかもしれないから。
それは、処理水処分の方法を東電自らが決めることはできなかったということ。
東電が汚染水を処理したものを海洋放出で処分する計画(というか見通し)を2011年には持っていたというのは、上記のエントリーに書いた通り。しかしながら、実際にALPS処理水の処分方法を海洋放出に決めたのは政府(2021年4月13日の第5回廃炉・汚染水・処理水対策関係閣僚等会議)。なぜそうなったかと言うと、東電は立地自治体や漁業関係者などの利害関係者からこの件について理解を得ることがほぼ不可能な状況だったから、というのが私の意見。
東電が2011年4月に低レベル汚染水を海に放出したのに対して漁業団体が抗議したのが、関係者の怒りと不信の始まりだったのではないか。その後に続いた汚染水の海への流出で海洋へ汚染が広がり、特に漁業関係者の東電に対する対立は決定的になったのではなかろうか。その後も、敷地内の処理水の漏洩事故は相次いだし*1、海への流出が確認されたものもあった。必要以上に事態を悪く煽る報道もたくさんあったと思う。そういうことが重なって、漁業関係者は東電に対しての信頼を完全になくしていった。*2
だから、上記エントリーに書いたように東電が2011年末に公の文書に処理水の海洋放出という計画を載せようとして、それを果たせなかったのは、漁業関係者の怒りにふれたからなのではないかと思う。しかしながら、汚染水処理水の処分は、「未来永劫(処理水を貯める)タンクを作り続けることはできない」故に、いつかはやらなければならない課題だった。それで、東電が物事を進められないなら政府が出ていくしかなかろう、ということになったのではないか。
2021年の政府決定は、2013年以降のふたつの政府の会議(トリチウム水タスクフォースおよび多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会)での検討と意見聴取の結果を踏まえたもの。その中で、処理水処分の方法としては海洋放出のほかに4つの方法*3が検討対象とされたが、最終的には海洋放出が選ばれた。理由は、ざっくり言えば、実績が他の4つと比べてずっと大きく、現実的(他の4つは実績がない、もしくは、少なくて、実現性が低い)だから*4という、2011年の時点ですでに分かりきっていたものだった。これを出来レースと見るか丁寧な議論と見るかは見る人の主観だろうけれど、2011年からすごい遠回りをしてきたなとは思う。この遠回りの中では、技術面だけではなく、広報のあり方とか風評被害のこととかが話し合われたり、あるいは関係者の意見聴取が行われたり、遠回りをした甲斐があったという側面もあると思うが、その中でも一番の収穫は「処理水の海洋放出が引き起こす障害は風評被害だけである」という認識が関係者の間で形成されたことだと思う。つまり、海洋放出の安全性について、合理的に問題を指摘することは誰もできなかった、ということ。
海洋放出は、コストが最も低いというメリットもあった。この点については、コストで決めるなどけしからんという声も当時は報道されていたが、思い出して欲しいのは、東電が営利企業であるということである。海洋放出が安全性に問題がなくコストも低いのであれば、これ以外の方法を選ぶためにはそこに合理的な根拠が必要だ。そうでなければ、営利企業として背任に問われかねない。もし、政府の決定が海洋放出以外の方法を選択したのなら、それが合理的な根拠たり得たのかもしれないが、そういうものがないまま東電自身が海洋放出以外の方法を選ぶことは事実上は不可能だったのではないか。つまり、東電としては海洋放出一択なのに、漁業関係者がそれを許さないというデッドロックだったわけだ。そういうわけで、ALPS処理水の処分方法が東電ではなくて政府によって決定されたのは、こんな事情があったのではないかと思う。
それで、ここからは完全に私の妄想なんだけれど、事故後に政権交代があり、2013年に第1回の汚染水処理対策委員会が開かれてそれまで東電任せだった汚染水処理に政府が関与するようになった時、漁業関係者の合意は当面得られそうにないので、「10年くらい地上保管で行ける?」「努力します」みたいな話が東電と政府の間であったのかもね。
さて、おまけにfilinionさんのエントリーの感想を少し。
たとえ計画通りに進んだとしても、「安全な処理水放出」を受け入れることに、周辺地域や周辺国には何の利益もない。
処理水放出は
「最大限うまくいってプラスマイナスゼロですよ」
の施策
私は、処理水の処分がうまくいけば、廃炉作業を進めるために大きなプラスだと思う。そもそも処理水の入った大量のタンクを漏洩させずに維持するだけでも大変な労力がかかっているが、タンクが減ればこれを他の作業に振り向けることができる。タンク貯蔵が続けばタンクの老朽化にも対応が必要になる。タンクの漏洩という意図しない形で処理水が海に流れ込むよりは、計画的な処分で海洋放出する方がマシだと思うし、タンクを撤去して今後の作業に必要なスペースを確保するのは、廃炉作業を進めるのに欠かせない。それに、タンクをなくすこと自体が廃炉作業の一部だ。周辺地域住民も廃炉が進むことを期待していると思うし、廃炉の確実な進捗は核物質防護の意味でも世界からの要請だと思う。そういうわけで、処理水処分を進めてタンクをなくすのは、プラスどころか廃炉に必要な作業だと思う。
福島県に住んでるわけでもない、廃炉に興味のない人から見れば、廃炉が進むことには何の利益もないのかもしれないけれど、私はうまくいってほしいと思っている。原発立地地域というのは、原発立地というリスクをとって日本の経済に大きく貢献してきた場所だ。1Fは東北地方にありながら発電した電力は東電管内、すなわち首都圏へ送られて、高度経済成長期から現在まで日本の中枢を支えてきた。そのリスクが顕在化したのだから、今度は日本全体が1Fの廃炉を通じて1F立地地域の復興に手を貸す番だと思っている。その意味でも、ALPS処理水の海洋放出には賛成だし、風評被害をなくす手伝いもできれば良いと思っている。
でも、これまでの東京電力と日本政府の「廃炉ロードマップ」の進捗や、汚染水の管理状況を見てたら、
「2051年までには放出は終わります!」
「それまで安全に管理します!」
なんて言われても信じられない人がいて当然なのでは?
私のエントリーにも書いたけど、廃炉のロードマップは、何十年とかかる作業に対して将来の見通しをつけ、各種多様に行われるそれぞれの作業のスケジュール上の整合性をとって作業工程を管理するためのものだ。計画通りに進めばよし、問題が生じたら書き換えていく。廃炉は30-40年で終了するという前提で現在のロードマップは作られているが、filinionさんが指摘するように、40年で確実に終了するという保証は何もない。実際にそれ以上の年月を要する事態もあり得るかもしれない。けれども、2051年の時点で処理水の処分が終わっていなかったとして、2023年の海洋放出開始は誤った選択だったということになるんだろうか。見通しは誤ったかもしれないが、それは海洋放出をしない理由になるんだろうか。2051年までに廃炉が終わらなかったら、それまでの廃炉作業は無意味なんだろうか。
2051年までに現在のロードマップの通りに作業が実行されて廃炉が完了することを目指すことよりも、廃炉を日々確実に進めていくことに注力するほうが重要だと私は思う。東電は、スケジュールを守ることよりも安全を重視するとよく言っているが、それは、期日を守ることを優先すれば事故が起きやすくなってかえって手戻りになることを経験してきたからだ。そのためにスケジュールが押すことになったとしても、私はこの姿勢を評価したいと思う。期日を守ることに汲々として無駄な作業が増えるよりも、何かあったら立ち止まる勇気を持つ方が、結局は早く終わるかもしれないし、なにより、事故のないことは期日を守るよりも大事だと思う。
話は変わるが、1FではALPS処理水の他にも2種類の放射能を含む水を海洋放出している。地下水バイパスとサブドレンがそれだ。いずれも地下水を汲み上げたもので、地下水バイパスは汚染の程度が低いのでそのまま、サブドレンは浄化処理をした上で、分析チェックののちに1F港湾内に流している。こんなことが行われていること自体、ほとんどの人は知らないか忘れているかのどちらかだろう。地下水バイパスは2014年から、サブドレンは2015年から運用を継続しているが、特に大きな問題は起きていない。今後のことはわからないけれど、今のところは順調だ。東電は「また東電か」と言われるような存在になってるけど、こういう良い実績も公平に評価することが現実に立脚した選択をするためには欠かせないと思う。
物事が順調に進んでいるというような良い話題は、マスメディアには載らない。ニュースというのは悪いことが起きたときに報じられるものだから。100の仕事のうち、99の仕事が順調でもそれは取り上げられず、1のトラブルは大騒ぎで報じられる。だから、マスメディアを通じて見えるのは、全体のほんの一部に過ぎない。けれども、それを見てそれが全てだと思う人は、誤った世界観を自分の中に作り上げていくことになるのだろう。
そう考えると、たとえば10年後にはALPSの運用が止まって、ただの汚染水をそのまま垂れ流して、
「環境への影響はない」
「海水で100万倍に薄めてるから環境基準を満たしている」
「予算がないんだから他に現実的な方策がない」
とか言ってる可能性も……そしてその状況が2060年にも2080年にも続く可能性は充分あるのではないでしょうか。
これまで、東電だけでなく協力企業の人たち、関連分野の研究者、自治体の担当者、政府関係者、規制関係者などなど、本当にたくさんの人たちが廃炉に関わってきし、この先もそうなのだろう。福島県や周辺の県に住む人たちも故郷の復興のために数多く現場に入っている。彼らのインタビュー記事などを見れば、誇りを持って廃炉の一端を担っていることがわかる。自治体・政府や規制の関係者だって、それぞれが自らの果たすべき役割に真摯に取り組んでいると思う。だから「10年後にはALPSの運用が止まって、ただの汚染水をそのまま垂れ流して」などという、これまでみんなが苦労して積み上げてきたものをドブに捨てるようなことをするわけがないと私は思うけれども、それは私が思うだけで何の保証もない。だから、filinionさんの言うことの方が正しいのかもしれない。けれども、私はこういう、東電には何を言っても良いんだみたいな態度を見ると、本当に悲しくなる。理解されないし報われないね。別に私は廃炉の関係者でも何でもないし、親戚にそういう人がいるわけでもないけれど、彼らの仕事はもっと評価されて良いと思っている。1のトラブルの背後に報道されない99の進捗があることを想像してほしいと思う。
個人の気持ちと合理的な社会のありようが一致しないときに、社会が個人の気持ちに寄り添う必要はないと私は思う。合理性というのは普遍的だから、誰から見ても同じ結果になる。でも、個人の気持ちはそれぞれに違う。だから、個人の気持ちはその持ち主が扱うべきもので、むしろ社会が関わるべきではない。社会は普遍的な合理性に拘束される方が、より多くの人の幸福につながると思う。合理性に反して個人の気持ちで社会が動くときは、あまり良い結果をもたらさないような気がする(例えば、最近の例ならマスメディアが主導したキャンペーンによるHPVワクチン接種率の低下とか)。だから、合理的な判断についていくためには勉強しないといかんのだよな。でも、それは本当に大変で、誰にでもできることでもない。みんな忙しいしね。ALPS処理水の海洋放出だって、もっと早い時期から始めていれば、その分、使用済み燃料や燃料デブリの取り出し作業がもっと早く進んだのかもしれない。でも、実際にはそうはならなかった。みんなの心が冷静になって合理性を受け入れられるようになるのに10年という歳月が必要だったのかもしれない。本当に社会を動かしていくというのは大変なことなんだよな。人の心は難しい。
*1:filinionさんのエントリーに記述のある2014年のタンクからの漏洩は、操作ミスが原因かどうかはまだ不明だと思う。状況からは問題のバルブ操作はミスではなくて意図を持って行われたようにも見えるし、その後の対策として、バルブは施錠管理されることになった。最終の報告書もまだ出ていないのでは。
*2:ここら辺の話は下に出てくる政府の会議の資料(多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会第4回の資料2)に詳しい。
*3:さらに、地上保管の継続も追加で検討されたが、こちらもメリットの少なさから採用されなかった。
*4:実績がある、というのは、「想定外」がその分少ないということなので、想定外の事態がお嫌いであれば、より実績の大きい方法を選ぶべきだろう。