ALPS処理水の海洋放出開始1周年記念

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の影響で、東京電力福島第一原発(以下、1Fと表記)で燃料の冷却が不能となり、燃料が溶け落ちて原子炉が損傷するという事故が起きてから早13年。事故以来、増え続ける汚染水(損傷した核燃料により放射能汚染した冷却水と建屋の地下に流入する地下水が混ざったもの)を浄化処理してタンクに貯め続けていたのを、ようやく海洋放出という形で処分することができるようになったのが去年の2023年。8月24日に放出を開始してから1年が過ぎた。

去年、海洋放出開始直後にfilinionさんのエントリー

filinion.hatenablog.com

について、事実誤認があるとしてエントリーを2つ書いた。

njamota.hatenablog.com

njamota.hatenablog.com

 

一年たって読み直してみて、追加して書いておきたいことがあったので、忘れないうちに書いておこうと思う。こういうことは、時間が経つと失われてしまうかもしれないから。

それは、処理水処分の方法を東電自らが決めることはできなかったということ。

東電が汚染水を処理したものを海洋放出で処分する計画(というか見通し)を2011年には持っていたというのは、上記のエントリーに書いた通り。しかしながら、実際にALPS処理水の処分方法を海洋放出に決めたのは政府(2021年4月13日の第5回廃炉・汚染水・処理水対策関係閣僚等会議)。なぜそうなったかと言うと、東電は立地自治体や漁業関係者などの利害関係者からこの件について理解を得ることがほぼ不可能な状況だったから、というのが私の意見。

東電が2011年4月に低レベル汚染水を海に放出したのに対して漁業団体が抗議したのが、関係者の怒りと不信の始まりだったのではないか。その後に続いた汚染水の海への流出で海洋へ汚染が広がり、特に漁業関係者の東電に対する対立は決定的になったのではなかろうか。その後も、敷地内の処理水の漏洩事故は相次いだし*1、海への流出が確認されたものもあった。必要以上に事態を悪く煽る報道もたくさんあったと思う。そういうことが重なって、漁業関係者は東電に対しての信頼を完全になくしていった。*2

だから、上記エントリーに書いたように東電が2011年末に公の文書に処理水の海洋放出という計画を載せようとして、それを果たせなかったのは、漁業関係者の怒りにふれたからなのではないかと思う。しかしながら、汚染水処理水の処分は、「未来永劫(処理水を貯める)タンクを作り続けることはできない」故に、いつかはやらなければならない課題だった。それで、東電が物事を進められないなら政府が出ていくしかなかろう、ということになったのではないか。

2021年の政府決定は、2013年以降のふたつの政府の会議(トリチウム水タスクフォースおよび多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会)での検討と意見聴取の結果を踏まえたもの。その中で、処理水処分の方法としては海洋放出のほかに4つの方法*3が検討対象とされたが、最終的には海洋放出が選ばれた。理由は、ざっくり言えば、実績が他の4つと比べてずっと大きく、現実的(他の4つは実績がない、もしくは、少なくて、実現性が低い)だから*4という、2011年の時点ですでに分かりきっていたものだった。これを出来レースと見るか丁寧な議論と見るかは見る人の主観だろうけれど、2011年からすごい遠回りをしてきたなとは思う。この遠回りの中では、技術面だけではなく、広報のあり方とか風評被害のこととかが話し合われたり、あるいは関係者の意見聴取が行われたり、遠回りをした甲斐があったという側面もあると思うが、その中でも一番の収穫は「処理水の海洋放出が引き起こす障害は風評被害だけである」という認識が関係者の間で形成されたことだと思う。つまり、海洋放出の安全性について、合理的に問題を指摘することは誰もできなかった、ということ。

海洋放出は、コストが最も低いというメリットもあった。この点については、コストで決めるなどけしからんという声も当時は報道されていたが、思い出して欲しいのは、東電が営利企業であるということである。海洋放出が安全性に問題がなくコストも低いのであれば、これ以外の方法を選ぶためにはそこに合理的な根拠が必要だ。そうでなければ、営利企業として背任に問われかねない。もし、政府の決定が海洋放出以外の方法を選択したのなら、それが合理的な根拠たり得たのかもしれないが、そういうものがないまま東電自身が海洋放出以外の方法を選ぶことは事実上は不可能だったのではないか。つまり、東電としては海洋放出一択なのに、漁業関係者がそれを許さないというデッドロックだったわけだ。そういうわけで、ALPS処理水の処分方法が東電ではなくて政府によって決定されたのは、こんな事情があったのではないかと思う。

それで、ここからは完全に私の妄想なんだけれど、事故後に政権交代があり、2013年に第1回の汚染水処理対策委員会が開かれてそれまで東電任せだった汚染水処理に政府が関与するようになった時、漁業関係者の合意は当面得られそうにないので、「10年くらい地上保管で行ける?」「努力します」みたいな話が東電と政府の間であったのかもね。

 

 

さて、おまけにfilinionさんのエントリーの感想を少し。

たとえ計画通りに進んだとしても、「安全な処理水放出」を受け入れることに、周辺地域や周辺国には何の利益もない。

処理水放出は
「最大限うまくいってプラスマイナスゼロですよ」
の施策

私は、処理水の処分がうまくいけば、廃炉作業を進めるために大きなプラスだと思う。そもそも処理水の入った大量のタンクを漏洩させずに維持するだけでも大変な労力がかかっているが、タンクが減ればこれを他の作業に振り向けることができる。タンク貯蔵が続けばタンクの老朽化にも対応が必要になる。タンクの漏洩という意図しない形で処理水が海に流れ込むよりは、計画的な処分で海洋放出する方がマシだと思うし、タンクを撤去して今後の作業に必要なスペースを確保するのは、廃炉作業を進めるのに欠かせない。それに、タンクをなくすこと自体が廃炉作業の一部だ。周辺地域住民も廃炉が進むことを期待していると思うし、廃炉の確実な進捗は核物質防護の意味でも世界からの要請だと思う。そういうわけで、処理水処分を進めてタンクをなくすのは、プラスどころか廃炉に必要な作業だと思う。

福島県に住んでるわけでもない、廃炉に興味のない人から見れば、廃炉が進むことには何の利益もないのかもしれないけれど、私はうまくいってほしいと思っている。原発立地地域というのは、原発立地というリスクをとって日本の経済に大きく貢献してきた場所だ。1Fは東北地方にありながら発電した電力は東電管内、すなわち首都圏へ送られて、高度経済成長期から現在まで日本の中枢を支えてきた。そのリスクが顕在化したのだから、今度は日本全体が1Fの廃炉を通じて1F立地地域の復興に手を貸す番だと思っている。その意味でも、ALPS処理水の海洋放出には賛成だし、風評被害をなくす手伝いもできれば良いと思っている。

 

でも、これまでの東京電力と日本政府の「廃炉ロードマップ」の進捗や、汚染水の管理状況を見てたら、
「2051年までには放出は終わります!」
「それまで安全に管理します!」
なんて言われても信じられない人がいて当然なのでは?

風評被害対策は必要だけど、そのためにはまず東京電力
「ちゃんと計画通りに進みます」
というところを見せることが先決。

私のエントリーにも書いたけど、廃炉のロードマップは、何十年とかかる作業に対して将来の見通しをつけ、各種多様に行われるそれぞれの作業のスケジュール上の整合性をとって作業工程を管理するためのものだ。計画通りに進めばよし、問題が生じたら書き換えていく。廃炉は30-40年で終了するという前提で現在のロードマップは作られているが、filinionさんが指摘するように、40年で確実に終了するという保証は何もない。実際にそれ以上の年月を要する事態もあり得るかもしれない。けれども、2051年の時点で処理水の処分が終わっていなかったとして、2023年の海洋放出開始は誤った選択だったということになるんだろうか。見通しは誤ったかもしれないが、それは海洋放出をしない理由になるんだろうか。2051年までに廃炉が終わらなかったら、それまでの廃炉作業は無意味なんだろうか。

2051年までに現在のロードマップの通りに作業が実行されて廃炉が完了することを目指すことよりも、廃炉を日々確実に進めていくことに注力するほうが重要だと私は思う。東電は、スケジュールを守ることよりも安全を重視するとよく言っているが、それは、期日を守ることを優先すれば事故が起きやすくなってかえって手戻りになることを経験してきたからだ。そのためにスケジュールが押すことになったとしても、私はこの姿勢を評価したいと思う。期日を守ることに汲々として無駄な作業が増えるよりも、何かあったら立ち止まる勇気を持つ方が、結局は早く終わるかもしれないし、なにより、事故のないことは期日を守るよりも大事だと思う。

話は変わるが、1FではALPS処理水の他にも2種類の放射能を含む水を海洋放出している。地下水バイパスとサブドレンがそれだ。いずれも地下水を汲み上げたもので、地下水バイパスは汚染の程度が低いのでそのまま、サブドレンは浄化処理をした上で、分析チェックののちに1F港湾内に流している。こんなことが行われていること自体、ほとんどの人は知らないか忘れているかのどちらかだろう。地下水バイパスは2014年から、サブドレンは2015年から運用を継続しているが、特に大きな問題は起きていない。今後のことはわからないけれど、今のところは順調だ。東電は「また東電か」と言われるような存在になってるけど、こういう良い実績も公平に評価することが現実に立脚した選択をするためには欠かせないと思う。

物事が順調に進んでいるというような良い話題は、マスメディアには載らない。ニュースというのは悪いことが起きたときに報じられるものだから。100の仕事のうち、99の仕事が順調でもそれは取り上げられず、1のトラブルは大騒ぎで報じられる。だから、マスメディアを通じて見えるのは、全体のほんの一部に過ぎない。けれども、それを見てそれが全てだと思う人は、誤った世界観を自分の中に作り上げていくことになるのだろう。

 

 そう考えると、たとえば10年後にはALPSの運用が止まって、ただの汚染水をそのまま垂れ流して、
「環境への影響はない」
「海水で100万倍に薄めてるから環境基準を満たしている」
「予算がないんだから他に現実的な方策がない」
 とか言ってる可能性も……そしてその状況が2060年にも2080年にも続く可能性は充分あるのではないでしょうか。

これまで、東電だけでなく協力企業の人たち、関連分野の研究者、自治体の担当者、政府関係者、規制関係者などなど、本当にたくさんの人たちが廃炉に関わってきし、この先もそうなのだろう。福島県や周辺の県に住む人たちも故郷の復興のために数多く現場に入っている。彼らのインタビュー記事などを見れば、誇りを持って廃炉の一端を担っていることがわかる。自治体・政府や規制の関係者だって、それぞれが自らの果たすべき役割に真摯に取り組んでいると思う。だから「10年後にはALPSの運用が止まって、ただの汚染水をそのまま垂れ流して」などという、これまでみんなが苦労して積み上げてきたものをドブに捨てるようなことをするわけがないと私は思うけれども、それは私が思うだけで何の保証もない。だから、filinionさんの言うことの方が正しいのかもしれない。けれども、私はこういう、東電には何を言っても良いんだみたいな態度を見ると、本当に悲しくなる。理解されないし報われないね。別に私は廃炉の関係者でも何でもないし、親戚にそういう人がいるわけでもないけれど、彼らの仕事はもっと評価されて良いと思っている。1のトラブルの背後に報道されない99の進捗があることを想像してほしいと思う。

 

個人の気持ちと合理的な社会のありようが一致しないときに、社会が個人の気持ちに寄り添う必要はないと私は思う。合理性というのは普遍的だから、誰から見ても同じ結果になる。でも、個人の気持ちはそれぞれに違う。だから、個人の気持ちはその持ち主が扱うべきもので、むしろ社会が関わるべきではない。社会は普遍的な合理性に拘束される方が、より多くの人の幸福につながると思う。合理性に反して個人の気持ちで社会が動くときは、あまり良い結果をもたらさないような気がする(例えば、最近の例ならマスメディアが主導したキャンペーンによるHPVワクチン接種率の低下とか)。だから、合理的な判断についていくためには勉強しないといかんのだよな。でも、それは本当に大変で、誰にでもできることでもない。みんな忙しいしね。ALPS処理水の海洋放出だって、もっと早い時期から始めていれば、その分、使用済み燃料や燃料デブリの取り出し作業がもっと早く進んだのかもしれない。でも、実際にはそうはならなかった。みんなの心が冷静になって合理性を受け入れられるようになるのに10年という歳月が必要だったのかもしれない。本当に社会を動かしていくというのは大変なことなんだよな。人の心は難しい。

 

*1:filinionさんのエントリーに記述のある2014年のタンクからの漏洩は、操作ミスが原因かどうかはまだ不明だと思う。状況からは問題のバルブ操作はミスではなくて意図を持って行われたようにも見えるし、その後の対策として、バルブは施錠管理されることになった。最終の報告書もまだ出ていないのでは。

*2:ここら辺の話は下に出てくる政府の会議の資料(多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会第4回の資料2)に詳しい。

*3:さらに、地上保管の継続も追加で検討されたが、こちらもメリットの少なさから採用されなかった。

*4:実績がある、というのは、「想定外」がその分少ないということなので、想定外の事態がお嫌いであれば、より実績の大きい方法を選ぶべきだろう。

断絶を超える知恵

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp

 

これ、両方に共通するのは、パートナーとの間に断絶があるのに、その深刻さに増田たちが気付いていないことだと思う。

 

でもさ、もし夏がもうちょっと涼しかったらこんなことにならなかったのでは?
昔みたいにたまに涼しい日があったり、9月に近づいたら少しずつ涼しくなったり、
夜になったら窓を開けたり。そういう夏はもう戻ってこないのかな?
何かこう、テクノロジーの進化で天気って変えられないもんなのかな?
私が悪いんだけど、暑さのせいで人間おかしくなっちゃうよね。
ほんとどうにかしてよ…

 

なぜそのようなことを思ったのかと聞くと、妊娠中に体調が優れなかったのに俺が妻をそっちのけで飲み会に行った話や、夜鳴きがひどかったのに俺が寝ていたこと、3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ていたことなんかをつらつらと述べ始めた(文字にすると端的だが、もっと長々と具体的に話された。その割に、振り返ってみると上記の3~4行でまとまるような内容しかなかったな。完全に余談だが)。

 

夕食の増田のパートナーは号泣して家出までしているのに、増田は気候が悪いからと思っている。産後の恨みの増田は妻の恨み言を3-4行でまとまるほどのことでしかないと思っている。でも、増田たちにはよく考えて欲しいんだけど、そんな浅い理由で人は号泣家出したり、20年間も恨みを持ち続けたりはしないのではないか。もしかして、夕食増田のパートナーは以前から増田に熱い夕食は嫌だと言い続けたのに、増田は飯が熱いのは当然と聞く耳を持たなかったのではないか。産後恨み増田が3-4行にまとめる際に切り落とした部分にこそ、増田のパートナーが聞いて理解して欲しかったものがあるのではないか。勝手な想像に過ぎないけれど、そういうディスコミュニケーションを増田たちから感じるのは私だけだろうか。パートナーたちは深い深い絶望の中にいると私は思うんだけど、その深さに増田たちは気付いていないように見える。その鈍感さがパートナーたちの絶望を産んでいるのではないか、と思う。

だから増田たちが悪い、と言いたいのではない。気が付かないことを罪に問われても、それは対応のしようがないんだよな。分からないものは分からない。耳の聞こえない人に後ろから話しかけても気が付いてもらえないのは当然だし、これと同じようなことが増田とパートナーとの間で起きているのではないだろうか。

たとえば、発達障害と定型発達の人の間の断絶もこんな感じで、定型の人が「このくらい言わなくてもわかるだろ」と思うところが、発達障害の人には言われてもなお分からなかったりする(定型の人には意外かもしれないが、逆のパターンもまたありうる)。そういう分かり合えなさをまずは知ることが大事なのではないか。そこが分かっていれば、相手に「理解してもらえないな」と思った時に反発やあきらめに至るのではなくて、根気強く対話を続けようとすることができるかもしれない。そういう知識が広く知られるようになれば、みんながもっと幸せに暮らせるようになるのかも。

増田たちに言いたいのは、家族はチームなのだということ。家族は利害を共有するチームなのだから、誰かがつらそうにしていたら進んで助け合うものなんだよ。誰が悪いとか楽をしているとかで対立するのではなくて、みんなで一緒に幸せになるという目標を目指して協力するものなんだよ。自分に理解・共感できないような不満を言われたら、「そんな不満を感じるのはおかしい」と思ったとしてもそこに不満があることは認めて、それをなくすためにできることはやってあげられるんだよ。不満があるのは不幸だし、それをなくせたらみんながハッピーでしょ?そうすれば、増田はきっと感謝される。何かするのが難しくても、パートナーの不満を否定せずに受け入れるだけでもいいんだ。「それじゃ何も解決しないじゃないか」と思うかもしれないし、確かにそれはその通りなんだけど、パートナーにとってはスルーされるよりもずっとマシなんだよ。家族とはいえども他人だから、みんな考え方も感じ方も違っていて当然だし、それぞれの人のそれを尊重することを忘れないで。

 

 

件のMVの話

mrsgreenapple.com

 

コロンブスに扮したバンドのメンバーと猿っぽい格好をした登場人物が出てくるこのMVが、猿っぽいのは「野蛮な現地人」のメタファーでありコロンブスが植民地でやらかした悪行三昧を表現した内容であるからけしからん、ということで炎上→公開中止ということがありまして。

 

MVはもう見ることができないのだけれど、私は公開が中止される前に全部見た。MVなんだけど歌詞はあまり聞き取れないし、コロンブスとナポレオンとベートーベンに扮した3人がいるのは分かったが、どういう内容なのかもよく分からなかった。なので、なぜこのMVが炎上しているのかがよく分からなかった。

どうも「コロンブスと猿の組み合わせがコロンブスが植民地でやった酷いことを表現している、しかも、楽しそうにそれをしていて反省のかけらもない」というクレームが相次いだらしい。そして、この解釈は一般的みたい。この解釈は正しくないと指摘した増田についたはてブのトップ1、2が

ミセスの「コロンブス」を炎上させているはてブ、映像の読解力なさすぎてキツすぎる

みんなが当然に読み解けてることがわからないのに自分のほうが優れていると思えるの、陰謀論者あるあるだからネタだとしても認知歪むから気をつけてね

2024/06/13 14:55

b.hatena.ne.jp

ミセスの「コロンブス」を炎上させているはてブ、映像の読解力なさすぎてキツすぎる

コロンブス」が「訪れた場所」なのだから、そこにいるのは当然「先住民」である。というのが健全・健常な思考法であって、これが呑み込めないと、時折要らない苦労を背負い込むハメになったりする。

2024/06/13 14:39

b.hatena.ne.jp

ということなので。

私自身は普通じゃないので、よく迂闊な発言をしては怒られが発生しがちであり、この件についても「みんなが当然に読み解けていること」を読み解くことができないのだけれど、それはとりあえず置いておくとして、私がこの件でどうにも理解できないことは別にある。それは、なぜこの解釈が正しい(制作者がそういう意図を持ってこのMVを作った)という確信を人々が持っているのか、ということ。

なぜあのMVではコロンブスの悪行が称揚されていると思うのか。

植民地において征服者が先住民を虐殺し奴隷としたことは、今の価値観から見ればとんでもない人権侵害である。これを「普通の感覚」と思うのは、この私でも共有するものだ。他人を殺したり他人のものを盗んだりしてはいけない。それは、今の日本においては特にことわるまでもない、普通の感覚だろう。そして、その感覚に基けば、コロンブスが行ったことが人権侵害であり、悪いことだったという結論に至るのはそう難しいことではないと思う。そうであるなら、その人権侵害行為を称揚するようなMVをわざわざ作って公開しようなどと思う人がいるだろうか。普通は、そういうことは何か特別な意図(例えば、皮肉をこめるとか)をもってするならともかく、やらないでしょう?だって、そんなことしたら炎上待ったなしだから。なんの利益にもならない。

ところが、どうやらみんなはそうは思わないらしい。逆に「あんなMVを作ってけしからん」と思う人が大勢いるらしい。なんで?いくらなんでも、そんなおバカなことが行われるとは私には思えないんだけれど、なんでみんなそう思ってるの?しかも、自分のその解釈や推測がもしかしたら間違っているのではないか、という謙虚さが微塵も感じられない。MVで表現したかったものが何なのかを確認することもなく「猿っぽいのは先住民のメタファーであり、コロンブスは彼らを使役する一方で教育も施し、俺たちイケてるじゃんひゃっほー」という解釈が普通で、その解釈に基づいてとっとと公開を中止するべし、という意見がはてブでもTwitterでも多数派だったように思う。

私はそんなのありえないのでは、と思うのだけれど、みんなはそうは思わないのかな。何でそんなに確信を持って自分の解釈が正しい、しかも「みんなが当然に読み解けてること」だと思うのかな。もし、その解釈が受け手の勝手な解釈で、それが理由で炎上したとしても、「みんなが当然に読み解け」るようなものを作る方が悪いってことなのかな。そうだとしたら、「みんなが当然に読み解けてること」がちょくちょく分からない自分みたいな人間は、いつもビクビクしながら生きていくより他はない。自分はそういう意図がなくてもそう思われるような言動をするのが悪いという理由で、いつ吊るされるか分からないもんな。

「〇〇に違いない」っていうのはどこまで行っても推測なのであって、そんな不確かなところで何かを燃やす情念っていうのは、一体何なんだろうね。

 

ニュースの裏側

bunshun.jp

この記事に引用されている朝日新聞の「悩みのるつぼ」コーナー。相談者は50代男性で、世界の理不尽を新聞報道で見聞きすると憎悪で夜も眠れない、この先、気持ちを保っていく方法にアドバイスを、というのが相談内容。

www.asahi.com

これに対する野沢直子の回答が、「そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいい」「そんなことを嘆く前に、今自分が幸せなことに感謝して自分の周りにいる人たちを大切にしましょう」であり、この回答が人をバカにしているというのが文春の記事。

これら二つの記事についたブコメも圧倒的に、野沢の回答はけしからんというものが多いみたい。

文春で引用されている朝日の記事は有料なので本来は全部読めないんだけれど、金を払うと時間制限付きで記事をオープンにできるサービスがあって、篤志の方のおかげで私は全部読むことができた。感謝。

野沢の回答の趣旨は「ニュースの裏側には必ず報道されない人々の声があり、報道とは異なる意見があるはずだから、そのことを想像するのが大事。現地で起きている悲劇に本当にコミットしたいなら、実際に現地に行って何が起きているのか確かめて来い(私による要約)」というものだった。私もこの意見に大いに賛成なんだけれど、多くの人はそうは思わないらしい。

ロシアの軍事侵攻もガザの紛争も米大統領選も、何であんなことが起きるのかさっぱり私にはわからない。プーチンやネタニヤフやシオニストやトランプや、そういうものは悪であり糾弾するべし。彼らを攻撃するのが正義。彼らを排除できれば世界は平和になる。本当にみんなそう思ってるの?50代相談者は彼らを憎悪してるらしいけど、本当に悪いのは彼らだけなのかしら?

例えば、ガザに対するイスラエルの攻撃は悪なの?確かにガザに住むパレスチナ人民間人がイスラエルの攻撃で死傷するのはあってはならないことであり、この意味でイスラエルは邪悪だ。でも、2023年10月7日のテロリズムで民間人を攻撃し虐殺し、いまだに人質として解放しないハマスもまた邪悪である。民間人を人質に取るというのはそれ自体が犯罪行為であり、いかなる理由があっても許されるものではない。それなのに人質解放を停戦の取引に使うハマスに対抗してイスラエルハマス殲滅のための攻撃を止めないことについて、どちらが悪でどちらが善なのか。あるいはどちらがより邪悪なのか。そんなことはもう私にはわからない。今ガザで起きていることは、本当に私の理解を超えていて、何をどう考えるべきなのか、さっぱりわからない。

家族が人質となっているイスラエル人がイスラエル政府にガザを制圧して人質を解放して欲しいと願うのは、おかしなことではないと思う。ガザに住むパレスチナ人たちがイスラエルによるガザ攻撃を止めて欲しいと思うのも当然だ。一方で、人質解放のために攻撃停止を主張するイスラエル人の人質家族もいるし、惨状を呈するガザ(そこは、今までだって決して平穏の地ではなかった)になお住み続けようとするパレスチナ人もいる。国境を接するエジプトをはじめ、アラブ諸国パレスチナ人難民を受け入れようとする動きはないし、イスラエルは西側諸国から軍事行動についてさまざまな批判を受けても屈しない。これを、イスラエルを悪とする見方で一括りにする単純さに、私はついていかれない。

Twitterではガザにまつわる話が流れてくる。エジプトとの国境にあるラファ検問所を運営しているのはエジプトの有力企業に連なる会社で、通行料として大人一人当たり5000ドルを徴収する。そもそも、外国籍を持っているとか病院に行く必要があるとかの決められた理由がない人はここを通れないのだけれど、金を払えば誰でもエジプトへ出国できるらしい。この通行料がどこへ流れるのかもわからないが、エジプトがこういう商売を黙認しているのも理解できない。UNRWAを通じて搬入される支援物資はガザの市場で売られている。本来はタダで配られるはずの支援物資が市場に出ていて、ガザ住民は金を払ってこれを買う。支援物資を運ぶトラックが住民に略奪される動画もよく見るのだが、住民は略奪しなければ支援物資をタダで手に入れることができないのかもしれない。略奪するために住民はトラックの運転席めがけて投石する。これでトラックの運転手が死傷することもあるらしく、検問所の先にトラックが進まない理由のひとつがこの略奪行為なのかもしれない。支援物資を売る市場を通じて集められた現金を元手にガザ住民はラファ検問所を通過する。これは、UNRWAに世界中から集まった支援金(日本も払っている)がガザを通過してエジプトへと流れていることでもある。こういう金の流れは、例えば日本政府のODA活動と似ていると思うし、一概に悪いことだとも思わないけれど、ガザの場合はガザ住民の命をカタにした商売とも言えるわけで、やっぱりいかがなものかと思う。Twitterの話なんてどれが本当でどれがウソなのか確かめようもないし、動画だって信用ならない。けれども、検問所で金を取る話は大手メディアでも見るし、上で書いたような話もありうることだとは思う。日本でのほほんと平和に暮らしていると、こういう世界のことはよくわからない。なぜこんなことになっているんだろうか。一体誰が悪いのか。

仮にイスラエルがガザ攻撃を中止したら、女子供が病院に担ぎ込まれる映像もなくなり、報道を見ても心揺さぶられることはなくなるかもしれない。けれども、帰ってこなかった人質の家族の思いがそれで癒されるわけではないし、家と仕事がなくなったパレスチナ人の生活が再建してパレスチナ国家が自立できるわけでもない。パレスチナイスラエルの両国の共存は、これからも長い時間をかけて紆余曲折を経ながら、その間も何人もの血を流しながら、模索していくより他はない。

私は、50代相談者の「世界の理不尽」と言うところの単純さにむしろ辟易する。彼が思うように世界が変わったところで、理不尽が解消するわけもないのに、一体何をそんなに真剣に悩んでいるんだろうと思う。むしろ、報道が喚起する情動を存分に味わって快楽としているようにしか見えない。報道が全てを報じないのは野沢の言う通りだと思うし、彼らは商売のために扇情的なニュースを流しているだけだ。そんなものに引っかかって意味のない悩みで人生を無駄にするくらいなら、もう新聞を読むのはやめにして身近な人々との関係を見直すほうがよほど利益があると私も思うよ。

信頼とはなにか

信頼ってなんだろうかといつも思う。

njamota.hatenablog.com

 

 

このツイートで、ツイ主は収監された人のことを待っていると言う。必ず戻ってくると言う保証など、どこにもない。むしろ、一旦は戻ってきたとしても、またやらかす可能性の方が高いのかもしれない。そんなことはわかった上で、戻ってくるのを待っていると言うのだろう。

戻ってくる保証があるからそれを期待するのではない。むしろ、待っているという信頼がその人を戻って来させる。結果を予想して待つのではない。待つことが結果を生み出す力になる。

実際のところどうなるかは、その時が来なければわからない。それでも待つと言う。なんのために?たぶん、それは自分のためなのではないか。自分自身がそうなって欲しいと思うから、そう思う。結果を期待するのではない。そうなって欲しいという願いがそれを待つことを自分にさせる。そして、その願いが未来を作る。これが信頼なんだろうか。

期待とは因果が逆なんだ。期待は生み出された結果を受け取るもの。信頼は結果を生み出し与えるもの。そして、期待は欲望であり、信頼は愛なのかもしれない。

 

良い人もいれば悪い人もいる。人間だもの。

www.kadokawa.co.jp

学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ | KADOKAWA

角川しょうもねぇな。それでも出版社かね?批判するためには読む必要があるんだから、オープンな議論をするために出版は不可欠。批判したい人は出版後に叩きのめせば、何が問題なのか明らかになって良いじゃないか。

2023/12/06 11:45

b.hatena.ne.jp

伝え聞くところによればこの本に書かれているのは、欧米で性自認の揺らぎから外科手術を含む医療を受ける少女が増えていて、その中に医療を受けたことを後悔するケースがある、という話らしい。

これに類似した話はいくつか見聞きしたことがあるが、この本の内容が真実かどうかを私は知らない。けれども、この本に書かれているのが本当のことだとして、それがトランスジェンダー当事者への差別・偏見につながるという意見は理解できない。

トランスジェンダーの中には色々な人がいるだろう。トランスして幸せになった人もいれば、取り返しのつかない医療行為を後悔している人もいるだろう。後者の存在が前者の存在を否定するものではないし、これから先、医療行為を含むトランスをやろうとしている人にとって、後者のケースについてよく知ることは重要だろう。

様々なケースについて知ることは、トランスジェンダーを否定することではない。むしろ、それをよく知り偏見をなくすために必要なことだと思う。真実に至るには知ることは欠かせない。もし、この本の内容がエセ科学のようなものなら、きちんと否定すれば良い。出版されなければそれが本当かどうかすら知ることはできないのだから。

 

 

 

nordot.app

アイヌ実名中傷動画を拡散 自民・杉田水脈氏、民族差別助長 | 共同通信

みんな動画見た?「アイヌの特定の個人を名指しで「ごろつき」と侮辱する」のとアイヌの人をアイヌである故に差別するのは全然別の事だし、杉田の発言は前者だと思う。それを差別と言うのはかえってアイヌ差別では?

2023/12/05 22:40

b.hatena.ne.jp

問題の動画はコレ↓

www.youtube.com

 

元記事についているブコメは「杉田の差別けしからん」というのが圧倒的なのだけれど、私はそうは思わない。杉田氏が差別主義者かどうかは知らんが、問題の動画を見る限り、氏は記事にあるように特定の個人を名指しで非難するような発言はしている(事実関係については私は何も知らないので、その発言が侮辱や中傷に当たるかどうかはわからないが、杉田氏がその人を非難に値すると考えていることはわかる)。だが、それはその個人を指してそう言っているだけで、その人がアイヌだから非難しているわけではない(そもそも、その人がアイヌなのかどうか、動画を見ただけではわからない)。氏の発言がその人を侮辱するものだとしても、それはその人個人に対する言いがかりであって、その人がアイヌかどうかとは何の関係もない。この動画での氏の発言をアイヌ差別を助長するものだと言うのは「アイヌの人を悪く言ってはいけない、悪くいうのは差別だ」と言うのに他ならない。そして、それはアイヌに悪い人はいない、と言っているのと同じで、それは誉め殺しというものだろう。アイヌにも良い人がいれば悪い人もいる。人間なのだから当たり前の話だ。それを否定するなら、もはやそれはアイヌに対する差別だろう。

 

トランスジェンダーにはトランスしてよかった人と後悔している人がいる。後者がいることは前者の存在をおとしめることにはならない。アイヌには良い人も悪い人もいる。後者の存在が前者の存在を否定するわけではない。こういう考え方ができないと、トランスを後悔する人の存在が許容できなかったり、アイヌを悪く言うのは差別だと思ったりするのではないかなー、と思った。

 

 

ALPS処理水の処分を回避する計画は存在したのか

このエントリーは下記のエントリーの書き直しです。

njamota.hatenablog.com

 

上記エントリーは、そもそもfilinionさんのエントリー

filinion.hatenablog.com

について、事実誤認を指摘しようとして書いたものでした。しかしながら、読み直してみるとなんだかよくわからない話になっていたので、改めて書き直してみます。

 

filinionさんのエントリーから引用します:

 そもそも我が国においても、海洋放出は、当初からの計画ではありませんでした。
 
 経済産業省汚染水処理対策事務局の、2015年6月の廃炉ロードマップを見てみましょう。
 
 これによると、2020年内には
「冷却水以外の建屋内の水や汚染水の増加量をほぼゼロに」
 とあります。(2ページ)

(省略)

 その先には
「ALPS処理水の長期的取扱いの検討」ともあります。
 
 つまり、本来の計画では、今頃は汚染水の増加は抑えられ、残った処理水は低レベル放射性廃棄物として国内で処分する予定だったわけです。
 

この部分を要約すると「廃炉ロードマップに従って廃炉作業が進んでいれば、汚染水の発生は2020年までにほぼゼロになっており、処理水の海洋放出をしなくても済むはずだった」ということになるかと思います(もし、この私の認識が間違っているなら、この後の話は全部意味がないのですが、どうなんでしょうか。あまり変な解釈ではないと思うのですが……)。

この部分は、filinionさんの主張「東電・政府は計画通り廃炉作業を進める能力がないから、ALPS処理水の海洋放出も2051年までに終わるかどうかわからないし、現在の安全とされる放出方法が維持される保証もない(から、処理水放出には反対するのはおかしくない)」の一角をなす重要な部分だと思います。

さて、私がfilinionさんが事実誤認していると言いたいのは、さっきの「廃炉ロードマップに従って廃炉作業が進んでいれば、汚染水の発生は2020年までにほぼゼロになっており、処理水の海洋放出をしなくても済むはずだった」の部分です。filinionさんの言う通り、2015年6月のロードマップには2020年内に「建屋内滞留水の処理完了(冷却水以外の建屋内の水や汚染水の増加量をほぼゼロに)」とあります。これが達成できれば確かに今頃は汚染水の発生量はゼロになっていたのでしょう。でも、実際にはこの計画は達成できず、現在でも汚染水は発生し続けています。ただし、その発生量は事故後に日量500トンだったのが、最近では100トンを切るまで減ってきました。これは、地下水バイパスや陸側遮水壁(いわゆる凍土壁)などの汚染水発生量抑制対策を実施した結果です。また、汚染水を貯めるためのタンクも当初の30万トン分から最終的には134万トン分まで増設しました。これらの対策により、今年まで処理水を地上に貯留し続けることが可能だったわけです。しかしながら、これは結果論に過ぎません。なぜなら、汚染水の発生量は降水量に大きく影響されるため、事前に正確に見積もることは不可能だからです。また、汚染水発生量抑制対策がどの程度奏効するかもやってみないとわからないものでした。ですから、仮に2020年までに汚染水の発生量をゼロにできたとしても、2020年までにどれだけの量の処理水が発生するかは、2015年の時点では予測できなかったと思います。もしかして台風が何個もやってきたり、凍土壁が思ったように機能しなかったりしたら、2020年までにタンクが一杯になっていたかもしれません。その場合には、その時点で処理水の処分を始めなければなりませんでした。

何が言いたいかというと「汚染水発生量抑制対策により処理水の処分を回避するという計画は存在しなかった」ということです。2020年までに汚染水の発生量をゼロにするというロードマップの計画はありましたが、それはALPS処理水の処分を回避するのがターゲットではありませんでした。もちろん、汚染水発生量がもっと抑制できていたら、降水量がもっと少なかったら、結果としてそういう状況はあり得たかもしれません。けれども、残念ながらそれは実現しなかった。

昨日31日に、中長期ロードマップの進捗状況について報告する会議に関する記者会見を東電が配信していて、私も見ましたが、その中で「ロードマップで汚染水ゼロを目指すというのが実現できず、最終的に海洋放出やむなしという判断に至った」みたいなことを言う記者がいたので、filinionさんと同じことを言っている人がいると驚いたのですが、これに対して東電の廃炉作業の責任者は「なんらかの形で処理水は処分しなければならないものだとずっと考えてきた」と言っていました。こういう大枠の話は、あまりに当たり前すぎて、うっかりすると失われてしまうのかもしれないと思った次第です。

疑問の点があれば、何なりとお尋ねください。