信頼とはなにか

信頼ってなんだろうかといつも思う。

njamota.hatenablog.com

 

 

このツイートで、ツイ主は収監された人のことを待っていると言う。必ず戻ってくると言う保証など、どこにもない。むしろ、一旦は戻ってきたとしても、またやらかす可能性の方が高いのかもしれない。そんなことはわかった上で、戻ってくるのを待っていると言うのだろう。

戻ってくる保証があるからそれを期待するのではない。むしろ、待っているという信頼がその人を戻って来させる。結果を予想して待つのではない。待つことが結果を生み出す力になる。

実際のところどうなるかは、その時が来なければわからない。それでも待つと言う。なんのために?たぶん、それは自分のためなのではないか。自分自身がそうなって欲しいと思うから、そう思う。結果を期待するのではない。そうなって欲しいという願いがそれを待つことを自分にさせる。そして、その願いが未来を作る。これが信頼なんだろうか。

期待とは因果が逆なんだ。期待は生み出された結果を受け取るもの。信頼は結果を生み出し与えるもの。そして、期待は欲望であり、信頼は愛なのかもしれない。

 

良い人もいれば悪い人もいる。人間だもの。

www.kadokawa.co.jp

学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ | KADOKAWA

角川しょうもねぇな。それでも出版社かね?批判するためには読む必要があるんだから、オープンな議論をするために出版は不可欠。批判したい人は出版後に叩きのめせば、何が問題なのか明らかになって良いじゃないか。

2023/12/06 11:45

b.hatena.ne.jp

伝え聞くところによればこの本に書かれているのは、欧米で性自認の揺らぎから外科手術を含む医療を受ける少女が増えていて、その中に医療を受けたことを後悔するケースがある、という話らしい。

これに類似した話はいくつか見聞きしたことがあるが、この本の内容が真実かどうかを私は知らない。けれども、この本に書かれているのが本当のことだとして、それがトランスジェンダー当事者への差別・偏見につながるという意見は理解できない。

トランスジェンダーの中には色々な人がいるだろう。トランスして幸せになった人もいれば、取り返しのつかない医療行為を後悔している人もいるだろう。後者の存在が前者の存在を否定するものではないし、これから先、医療行為を含むトランスをやろうとしている人にとって、後者のケースについてよく知ることは重要だろう。

様々なケースについて知ることは、トランスジェンダーを否定することではない。むしろ、それをよく知り偏見をなくすために必要なことだと思う。真実に至るには知ることは欠かせない。もし、この本の内容がエセ科学のようなものなら、きちんと否定すれば良い。出版されなければそれが本当かどうかすら知ることはできないのだから。

 

 

 

nordot.app

アイヌ実名中傷動画を拡散 自民・杉田水脈氏、民族差別助長 | 共同通信

みんな動画見た?「アイヌの特定の個人を名指しで「ごろつき」と侮辱する」のとアイヌの人をアイヌである故に差別するのは全然別の事だし、杉田の発言は前者だと思う。それを差別と言うのはかえってアイヌ差別では?

2023/12/05 22:40

b.hatena.ne.jp

問題の動画はコレ↓

www.youtube.com

 

元記事についているブコメは「杉田の差別けしからん」というのが圧倒的なのだけれど、私はそうは思わない。杉田氏が差別主義者かどうかは知らんが、問題の動画を見る限り、氏は記事にあるように特定の個人を名指しで非難するような発言はしている(事実関係については私は何も知らないので、その発言が侮辱や中傷に当たるかどうかはわからないが、杉田氏がその人を非難に値すると考えていることはわかる)。だが、それはその個人を指してそう言っているだけで、その人がアイヌだから非難しているわけではない(そもそも、その人がアイヌなのかどうか、動画を見ただけではわからない)。氏の発言がその人を侮辱するものだとしても、それはその人個人に対する言いがかりであって、その人がアイヌかどうかとは何の関係もない。この動画での氏の発言をアイヌ差別を助長するものだと言うのは「アイヌの人を悪く言ってはいけない、悪くいうのは差別だ」と言うのに他ならない。そして、それはアイヌに悪い人はいない、と言っているのと同じで、それは誉め殺しというものだろう。アイヌにも良い人がいれば悪い人もいる。人間なのだから当たり前の話だ。それを否定するなら、もはやそれはアイヌに対する差別だろう。

 

トランスジェンダーにはトランスしてよかった人と後悔している人がいる。後者がいることは前者の存在をおとしめることにはならない。アイヌには良い人も悪い人もいる。後者の存在が前者の存在を否定するわけではない。こういう考え方ができないと、トランスを後悔する人の存在が許容できなかったり、アイヌを悪く言うのは差別だと思ったりするのではないかなー、と思った。

 

 

ALPS処理水の処分を回避する計画は存在したのか

このエントリーは下記のエントリーの書き直しです。

njamota.hatenablog.com

 

上記エントリーは、そもそもfilinionさんのエントリー

filinion.hatenablog.com

について、事実誤認を指摘しようとして書いたものでした。しかしながら、読み直してみるとなんだかよくわからない話になっていたので、改めて書き直してみます。

 

filinionさんのエントリーから引用します:

 そもそも我が国においても、海洋放出は、当初からの計画ではありませんでした。
 
 経済産業省汚染水処理対策事務局の、2015年6月の廃炉ロードマップを見てみましょう。
 
 これによると、2020年内には
「冷却水以外の建屋内の水や汚染水の増加量をほぼゼロに」
 とあります。(2ページ)

(省略)

 その先には
「ALPS処理水の長期的取扱いの検討」ともあります。
 
 つまり、本来の計画では、今頃は汚染水の増加は抑えられ、残った処理水は低レベル放射性廃棄物として国内で処分する予定だったわけです。
 

この部分を要約すると「廃炉ロードマップに従って廃炉作業が進んでいれば、汚染水の発生は2020年までにほぼゼロになっており、処理水の海洋放出をしなくても済むはずだった」ということになるかと思います(もし、この私の認識が間違っているなら、この後の話は全部意味がないのですが、どうなんでしょうか。あまり変な解釈ではないと思うのですが……)。

この部分は、filinionさんの主張「東電・政府は計画通り廃炉作業を進める能力がないから、ALPS処理水の海洋放出も2051年までに終わるかどうかわからないし、現在の安全とされる放出方法が維持される保証もない(から、処理水放出には反対するのはおかしくない)」の一角をなす重要な部分だと思います。

さて、私がfilinionさんが事実誤認していると言いたいのは、さっきの「廃炉ロードマップに従って廃炉作業が進んでいれば、汚染水の発生は2020年までにほぼゼロになっており、処理水の海洋放出をしなくても済むはずだった」の部分です。filinionさんの言う通り、2015年6月のロードマップには2020年内に「建屋内滞留水の処理完了(冷却水以外の建屋内の水や汚染水の増加量をほぼゼロに)」とあります。これが達成できれば確かに今頃は汚染水の発生量はゼロになっていたのでしょう。でも、実際にはこの計画は達成できず、現在でも汚染水は発生し続けています。ただし、その発生量は事故後に日量500トンだったのが、最近では100トンを切るまで減ってきました。これは、地下水バイパスや陸側遮水壁(いわゆる凍土壁)などの汚染水発生量抑制対策を実施した結果です。また、汚染水を貯めるためのタンクも当初の30万トン分から最終的には134万トン分まで増設しました。これらの対策により、今年まで処理水を地上に貯留し続けることが可能だったわけです。しかしながら、これは結果論に過ぎません。なぜなら、汚染水の発生量は降水量に大きく影響されるため、事前に正確に見積もることは不可能だからです。また、汚染水発生量抑制対策がどの程度奏効するかもやってみないとわからないものでした。ですから、仮に2020年までに汚染水の発生量をゼロにできたとしても、2020年までにどれだけの量の処理水が発生するかは、2015年の時点では予測できなかったと思います。もしかして台風が何個もやってきたり、凍土壁が思ったように機能しなかったりしたら、2020年までにタンクが一杯になっていたかもしれません。その場合には、その時点で処理水の処分を始めなければなりませんでした。

何が言いたいかというと「汚染水発生量抑制対策により処理水の処分を回避するという計画は存在しなかった」ということです。2020年までに汚染水の発生量をゼロにするというロードマップの計画はありましたが、それはALPS処理水の処分を回避するのがターゲットではありませんでした。もちろん、汚染水発生量がもっと抑制できていたら、降水量がもっと少なかったら、結果としてそういう状況はあり得たかもしれません。けれども、残念ながらそれは実現しなかった。

昨日31日に、中長期ロードマップの進捗状況について報告する会議に関する記者会見を東電が配信していて、私も見ましたが、その中で「ロードマップで汚染水ゼロを目指すというのが実現できず、最終的に海洋放出やむなしという判断に至った」みたいなことを言う記者がいたので、filinionさんと同じことを言っている人がいると驚いたのですが、これに対して東電の廃炉作業の責任者は「なんらかの形で処理水は処分しなければならないものだとずっと考えてきた」と言っていました。こういう大枠の話は、あまりに当たり前すぎて、うっかりすると失われてしまうのかもしれないと思った次第です。

疑問の点があれば、何なりとお尋ねください。

 

 

東電はALPS処理水の海洋放出をいつから考えていたのか

(以下、31日追記)はてブをいただきました:

東電はALPS処理水の海洋放出をいつから考えていたのか - たたるこころ

海洋放出を当初から想定していたことに異論はありませんが、本質的に事実誤認の指摘になってないように見えます。海洋放水を想定したまま他人の話を聞かずに放水したなら「嫌がられて当然」なのでは。重箱の隅?

2023/08/31 01:05

ご指摘を受けて色々読み返してみたのですが、何が事実誤認なのかという点でいまいち焦点が絞れていないエントリーだったなぁと思いました(時間をかけずに書くとロクなことにならない)。filinionさんの「そもそも東電の計画通りに進むものなら、今頃は処理水は増えてないはずだったのに」というのは、文字通りに解釈するなら確かにその通りで、ここだけを取り上げれば事実誤認ではありませんでした。また「そもそも我が国においても、海洋放出は、当初からの計画ではありませんでした。」というところも、残された資料や文書だけを見れば確かにその通りかもしれません。なぜ私がこのエントリーを書こうとした時にそう思わなかったのか、そして、今でも「そりゃそうだけどなぁ」という気持ちなのか、というところをよくよく考えてみたいと思います。このギャップがいわゆる科学をめぐる不信感の元につながるのかもしれません。(追記おわり)

(以下、1日追記)このエントリーはあまりよく書けていないので、新しいのを書いてみました。

njamota.hatenablog.com

(追記おわり)

 

filinion.hatenablog.com

色々と事実誤認があるようなので、指摘します(filinionさんのエントリーが長い!ので、最初のところだけ)。私は関係者でもなんでもないのですが、あの事故があまりに印象的だったので、いまだにフォローし続けていて、普通よりはちょっと詳しいです。でも、専門家でもなんでもないので、間違ったところがあるかもしれないことはお含みおきください。

エントリーから引用します:

2020年内には
「冷却水以外の建屋内の水や汚染水の増加量をほぼゼロに」
 とあります。(2ページ)

……

その先には
「ALPS処理水の長期的取扱いの検討」ともあります。
 
 つまり、本来の計画では、今頃は汚染水の増加は抑えられ、残った処理水は低レベル放射性廃棄物として国内で処分する予定だったわけです。

以下、誤認と思われるところを指摘します。

2015年6月改定版のロードマップには「冷却水以外の建屋内の水や汚染水の増加量をほぼゼロに」という内容がありますが、2017年9月改訂版ではこの部分に「原子炉建屋では循環注水冷却を行っており、引き続き滞留水が存在する」という注釈が付きます。これは、2015年には想定されていた格納容器の補修が、その後の調査・検討により困難であるという判断が下され、冷却水が建屋へと流出するのを止めるのが難しいという現実を受け入れたための改定です。そして、この注釈付きの建屋滞留水処理完了という目標は2020年12月に達成されています(東電の資料。2ページ目左上の囲みに書いてあります)。
そもそもロードマップは、たくさんの作業が同時並行して行われる廃炉において、それぞれの作業の進捗を齟齬のないように計画するためのもののようです。福島第一原発は事故のあった原子炉があるのですから、現場の調査をするのも容易ではなく、次第に明らかになっていく事実に合わせて改定されていくのがロードマップの本来の姿です。その改定を計画の破綻と考えるのもひとつの立場でしょう。でも、わからないなりに見通しを立てて一歩づつ進んでいき、わかったところは計画に反映させていく、そういう方法以外に現実的なやり方があるとは私は思いません。

「ALPS処理水の長期的取扱いの検討」というのは、ALPS処理水の処分方法についての技術的検討をしていた経産省トリチウム水タスクフォースが2016年6月に出した報告書をもとに、新たに多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会を設置して処分方法について具体的に検討していく、というあたりの話なんだと思います。その後、2020年2月の小委員会の報告書、10月の政府方針(処理水は海洋放出をする)表明と進んでいきました。その中で「残った処理水は低レベル放射性廃棄物として国内で処分する予定」という話は聞いたことがありませんし、引用された資料にも書いてないと思います。

原子力関係の人たちは、ALPS処理水を「海に流すなんて望ましくない。やってはいけないことだ」とは考えていなかったと思います(小出裕章氏などはそうではないかもしれない)。なぜなら、最近よく知られるようになった通り、トリチウムを含む液体廃棄物の海洋放出は全世界で普通に行われている手法であり、濃度、量、期間の全てで安全性に問題ないという実績がすでにあるからです。つまり、関係者にすれば当たり前のように毎日どこかでやっていることなわけです。だからこそ、東電としては2011年の時点で、汚染水を浄化処理した水を海洋放出するつもりだったのだと思います。2011年12月15日に当時の保安院に提出した福島第一原子力発電所第1〜4号機に対する「中期的安全確保の考え方」に基づく施設運営計画に係る報告書(その3)には液体廃棄物の「海洋への放出」という言葉が出てきます。ただし、この文書には「液体廃棄物を海洋に放出する」とは書いてない。漁業関係者を含む関係者の反対により書くことができない状況だったのではないかと思います。処分できなければ貯めるより仕方がない。それで、タンクの増設や、地下水バイパスや陸側遮水壁(いわゆる凍土壁)など汚染水の発生を抑制する対策をやらざるを得なくなったわけです。汚染水発生量の抑制対策は、処分を回避するためではなく、むしろ、処分を前提とした処理水の貯留を継続するために必要な手段だったのです。

そういうわけで、ALPS処理水の海洋放出は当初から想定されていたもので、汚染水の発生量抑制に失敗したからそれを余儀なくされたのではない、という事情について書いてみました。疑問があれば、なんなりとお尋ねください。

 

 

 

 

地獄への道は善意で敷き詰められている

www.tokyo-np.co.jp

両親がペルー出身で非正規滞在者のため、日本で生まれ育ちながら小学6年生の時に出入国在留管理庁(入管庁)から退去命令を出された。在留資格がない立場に追い込まれ、働くことも禁じられた「仮放免」のままだ。国を相手に在留資格を求めた訴訟も敗訴が確定している。

支援団体の援助で大学進学はできたが、卒業が近づくにつれ「働く権利」がない現実が重くのしかかる。

人々がそれでも日本を去れないのは、本国で迫害される恐怖など切実な事情があるからだ。

いま唯一希望を託すのは入管庁が人道上の観点から在留資格を許可すること。

「働いて自立して自分を育ててくれたこの社会に貢献したい。私の望みはそれだけです」

これに対して

という指摘。

非正規滞在」と言うとピンとこないけれど、外国人の非正規滞在とは不法入国/不法残留/不法滞在のことで、要するに違法行為なわけだ。この大学生の両親がなぜ日本に来たのかは記事に書いてないから分からないけれど、在留資格を求めた裁判で敗訴ということだから、少なくとも難民認定されるような事情はないのだろう。非正規滞在の人は入管法により就業が禁じられている(不法就労。雇用するのも雇用を斡旋するのも犯罪)。まして、仮放免は本来は帰国準備や病気療養のためのものだから、それを10年も継続して進学し就職を目指すというのがそもそも変な話だ。そこらへんのことに全く触れずに、かわいそうな大学生に人道上の観点から在留資格を与えよ、というのが東京新聞の記事なわけだ。

上に引用したツイッターにあるように、支援団体の支援を受け、さらに日本の政府が仮放免を長期間許したためにこういう悲劇が起きているのだと思う。ここへ来て「かわいそうだから在留許可を出す」なんてことがあるはずもない(というか、法治国家としてあってはならないだろう)。この学生さんの本当の幸せのために何をすれば良かったのか。それはツイッターにある通りだと思う。支援団体がどのような見通しと思惑でどんな支援を行なったのかは分からないけれど、結果として実を結ばなかったのではないか。むしろ、支援者の「かわいそうだからなんとかしてあげたい」という気持ちを満たすために、学生さんの人生が浪費されたと言えるのではないだろうか。

支援者は心の底から善意でやってるのかもしれない。けれども、その結果がこれだったら、何もしない方がましだったのではないか。何か問題がある時、それを解決するには善意だけでは足りなくて、解決のための技術や能力が必要なんだと思う。現実をどう変えていけば良いのか、どう変えていけるのか、それには何が必要なのか、そういうことをよく調べ、よく考えて、行動しなければ、現実を良い方向に変えていくことは難しい。「かわいそうだからなんとかしてあげたい」という気持ちだけで他人の人生に関わると、結局は人の人生を食い物にして終わるだけなのかもしれない。

こういう話を見聞きするたびに、「支援者」の方々はこの事態を前にどういう思いを抱いているのか、と思う。この学生さんの苦境を国の制度が悪いからだと考えているとしたら、なんというか救いがないなぁと思う。このところ入管制度の改革で話題になるスリランカ人女性の件でも、支援者と出会ってしまったのが不運だったのではないか、もし支援者が女性を見出さず関係を持つことがなければ、女性は今頃スリランカで生きていたのではないか、少なくとも日本で死亡することはなかったのではないか、と思う(法務省の報告書「名古屋出入国在留管理局被収容者死亡事案に関する調査報告について」を読むと、もともとの帰国希望を変えたのは支援者と会った後とのこと)。

「かわいそうだからなんとかしてあげたい」という気持ちは正義だと思われがちだけれど、実はそんなことはない、その気持ちを無思慮に尊重するととんでもないことになる、というのは、幼稚園の砂場で学ぶことだと思うんですよ。幼児の純粋な「かわいそう」という思いがどんなに残酷な結果をもたらすか、いちいちの具体例は思い出せないけど概念として染み付いているものがありますよ私は。

現実はお気持ちだけでは動かないし、動かしてはいけない。現実はとても複雑でさまざまな要素が絡み合ってできている。その絡み合いの中をどう生きていけば良いのか。その指針となるもののひとつが法律なんだと思う。その分野の当事者や専門家が束になって作り上げたものなんだから、素人にはすぐに理解できない内容にもそれなりの理由があるはず。そうやって法律を尊重する気持ちがあると、「入管法けしからん」というのが実に雑な意見に見える。実を言うと、私だって基本的人権である居住移転の自由や職業選択の自由が外国人には認められていないということを、非正規滞在外国人のニュースなどを通じて初めて知った時は「何で?」と思った。けれども、外国人の人権が国家権力によって制限されているのは国民の生活を保護するためであり、それは日本に限らず外国でも一般的であることを知るようになった。そして、非正規滞在で長期間入管に収容されていたり仮放免になっている外国人の存在が入管法の不備から来ること、先にあげた学生さんやスリランカ人女性のように長期の仮放免や収容が当事者の利益になっていないことがわかってきた。非正規滞在はなるべく無くさなければならず、そのためには非正規滞在の人を早期に帰国させるための道筋が必要なのだと思う。

「(政治的迫害以外の理由で)帰国したくない」という人を無理やり帰国させるのは「かわいそう」かもしれないけれど、かと言って日本に滞在できるように支援することは本人や日本人の利益に結びつかない。であれば、彼らにどういう支援をするのが良いのか、そこを支援者は考えてほしい。それはもしかしたら「それでも帰国するのが将来の利益になるのではないですか?」という視点を提供することかもしれない。それは「かわいそう」という気持ちとは矛盾するかもしれないけれど、でも支援って自分のためじゃなくて支援対象のためにするものでしょ?違う?

 

理性ではコントロールできない情動

grandfleet.info

 

プーチン大統領は自身の命令に背いて「ウクライナでの軍事作戦」に徴兵された兵士を動員した責任者を処罰するよう軍事検察庁に命令した。

 

プーチン大統領ウクライナでの軍事作戦は契約軍人のみで行い「徴兵された兵士や予備役は本作戦に関与させない」と国民に約束していたが、戦死した兵士の身分証や捕虜になった兵士をウクライナ側がネット上で公開を始めたため徴兵された兵士がウクライナでの作戦に大勢動員されている事実が露見…

 

…厳しい情報統制が敷かれているロシアでも「徴兵された兵士がウクライナの戦争に参加していた問題」についてはメディアも取り上げており、徴兵に息子を送り出した母親も積極的に「軍の当局者に騙された」と叫んでいるのが印象的で、早く責任を誰かに押し付けないと「手のつけられない母親の怒り」が自分に向かうことをプーチン大統領は自覚しているのだろう。

 

先日、テレビの生放送(と言われる)ニュースに垂れ幕持参で乱入したお姉さんも、逮捕後3日で釈放されたけど「後でこっそり殺されるんだ」と噂されるロシア。常に政府に命の緒を握られているロシア国民でも、母親は子供のためなら政府に異議をとなえる。母親は子供のためなら自らの命を顧みない。だから、彼女たちには「殺すぞ」という脅しが通用しない。

 

「殺すぞ」というロシア政府の脅しが通用しない相手が他にもいる。それは、今のウクライナ国民だ。彼らは、子供を危険にさらされた母親と同じように、自分の命を顧みずに自分達の国を滅亡の危機から守ろうとする。

 

どんなに権力が強くて無情でも、この手の情動を押さえつけることはできない。それは、そんなことしたら死んでしまうという理路を簡単に吹き飛ばして、人を突き動かすものだ。

 

もうひとり、理性的な理路が吹き飛んでいる人がいる。この戦争をおっぱじめた張本人だ。どこからどう考えても、こんな戦争を始めて得られる現実的な利益はひとつもない。クリミアの併合がうまくいったからといって、ドンバスだって内戦状態が続いているのに、ウクライナ全土が手に入ると思うなんて、どうかしている。仮にキエフを占領することができたとしても、その後に来るのはアフガニスタンイラクで世界が見てきたような混沌だろう。それに、2014年以降の経済制裁で既にロシアの経済規模は韓国と比べても小さいほどに縮小しているらしいのに、今回の戦争に対する欧米の反発と経済制裁はロシア経済の息の根を止めてしまいそうな勢いだ。そういうわけで、政治的にも経済的にも甘く見過ぎで、とても合理的な判断があるとは思えない。

 

プーチンが夢見る大ロシア帝国の再興は、彼自身のアイデンティティと結びついて、それ自体が彼の生きるよすがになっているのではないか。この戦争によって産み出される唯一の利益は、ここにあるのではないか。それもまた、それがなくては生きていけないという情動を彼に呼び起こすのかもしれない。