地獄への道は善意で敷き詰められている

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両親がペルー出身で非正規滞在者のため、日本で生まれ育ちながら小学6年生の時に出入国在留管理庁(入管庁)から退去命令を出された。在留資格がない立場に追い込まれ、働くことも禁じられた「仮放免」のままだ。国を相手に在留資格を求めた訴訟も敗訴が確定している。

支援団体の援助で大学進学はできたが、卒業が近づくにつれ「働く権利」がない現実が重くのしかかる。

人々がそれでも日本を去れないのは、本国で迫害される恐怖など切実な事情があるからだ。

いま唯一希望を託すのは入管庁が人道上の観点から在留資格を許可すること。

「働いて自立して自分を育ててくれたこの社会に貢献したい。私の望みはそれだけです」

これに対して

という指摘。

非正規滞在」と言うとピンとこないけれど、外国人の非正規滞在とは不法入国/不法残留/不法滞在のことで、要するに違法行為なわけだ。この大学生の両親がなぜ日本に来たのかは記事に書いてないから分からないけれど、在留資格を求めた裁判で敗訴ということだから、少なくとも難民認定されるような事情はないのだろう。非正規滞在の人は入管法により就業が禁じられている(不法就労。雇用するのも雇用を斡旋するのも犯罪)。まして、仮放免は本来は帰国準備や病気療養のためのものだから、それを10年も継続して進学し就職を目指すというのがそもそも変な話だ。そこらへんのことに全く触れずに、かわいそうな大学生に人道上の観点から在留資格を与えよ、というのが東京新聞の記事なわけだ。

上に引用したツイッターにあるように、支援団体の支援を受け、さらに日本の政府が仮放免を長期間許したためにこういう悲劇が起きているのだと思う。ここへ来て「かわいそうだから在留許可を出す」なんてことがあるはずもない(というか、法治国家としてあってはならないだろう)。この学生さんの本当の幸せのために何をすれば良かったのか。それはツイッターにある通りだと思う。支援団体がどのような見通しと思惑でどんな支援を行なったのかは分からないけれど、結果として実を結ばなかったのではないか。むしろ、支援者の「かわいそうだからなんとかしてあげたい」という気持ちを満たすために、学生さんの人生が浪費されたと言えるのではないだろうか。

支援者は心の底から善意でやってるのかもしれない。けれども、その結果がこれだったら、何もしない方がましだったのではないか。何か問題がある時、それを解決するには善意だけでは足りなくて、解決のための技術や能力が必要なんだと思う。現実をどう変えていけば良いのか、どう変えていけるのか、それには何が必要なのか、そういうことをよく調べ、よく考えて、行動しなければ、現実を良い方向に変えていくことは難しい。「かわいそうだからなんとかしてあげたい」という気持ちだけで他人の人生に関わると、結局は人の人生を食い物にして終わるだけなのかもしれない。

こういう話を見聞きするたびに、「支援者」の方々はこの事態を前にどういう思いを抱いているのか、と思う。この学生さんの苦境を国の制度が悪いからだと考えているとしたら、なんというか救いがないなぁと思う。このところ入管制度の改革で話題になるスリランカ人女性の件でも、支援者と出会ってしまったのが不運だったのではないか、もし支援者が女性を見出さず関係を持つことがなければ、女性は今頃スリランカで生きていたのではないか、少なくとも日本で死亡することはなかったのではないか、と思う(法務省の報告書「名古屋出入国在留管理局被収容者死亡事案に関する調査報告について」を読むと、もともとの帰国希望を変えたのは支援者と会った後とのこと)。

「かわいそうだからなんとかしてあげたい」という気持ちは正義だと思われがちだけれど、実はそんなことはない、その気持ちを無思慮に尊重するととんでもないことになる、というのは、幼稚園の砂場で学ぶことだと思うんですよ。幼児の純粋な「かわいそう」という思いがどんなに残酷な結果をもたらすか、いちいちの具体例は思い出せないけど概念として染み付いているものがありますよ私は。

現実はお気持ちだけでは動かないし、動かしてはいけない。現実はとても複雑でさまざまな要素が絡み合ってできている。その絡み合いの中をどう生きていけば良いのか。その指針となるもののひとつが法律なんだと思う。その分野の当事者や専門家が束になって作り上げたものなんだから、素人にはすぐに理解できない内容にもそれなりの理由があるはず。そうやって法律を尊重する気持ちがあると、「入管法けしからん」というのが実に雑な意見に見える。実を言うと、私だって基本的人権である居住移転の自由や職業選択の自由が外国人には認められていないということを、非正規滞在外国人のニュースなどを通じて初めて知った時は「何で?」と思った。けれども、外国人の人権が国家権力によって制限されているのは国民の生活を保護するためであり、それは日本に限らず外国でも一般的であることを知るようになった。そして、非正規滞在で長期間入管に収容されていたり仮放免になっている外国人の存在が入管法の不備から来ること、先にあげた学生さんやスリランカ人女性のように長期の仮放免や収容が当事者の利益になっていないことがわかってきた。非正規滞在はなるべく無くさなければならず、そのためには非正規滞在の人を早期に帰国させるための道筋が必要なのだと思う。

「(政治的迫害以外の理由で)帰国したくない」という人を無理やり帰国させるのは「かわいそう」かもしれないけれど、かと言って日本に滞在できるように支援することは本人や日本人の利益に結びつかない。であれば、彼らにどういう支援をするのが良いのか、そこを支援者は考えてほしい。それはもしかしたら「それでも帰国するのが将来の利益になるのではないですか?」という視点を提供することかもしれない。それは「かわいそう」という気持ちとは矛盾するかもしれないけれど、でも支援って自分のためじゃなくて支援対象のためにするものでしょ?違う?