猫は生きているのか

シュレディンガーの猫は、箱を開けてみるまで生死不明である(というか、半死半生状態)。けれども、その箱に量子的に毒ガスを発生するギミックが付いていなくても、箱の中の猫が死んでいるかどうかは、実はわからない(この場合は、半死半生ではなくて、生きているか死んでいるかのどっちかだが)。さっきまで元気だった猫が箱の中で静かに死んだ可能性は、ゼロではない。あるいは、箱になんか入れなくても、いつものように朝起きて、ご飯を食べた後に、出かけていった猫が二度と戻って来なかった、そういうことは(完全室内飼いが奨励される現在は別かもしれないが)さほど珍しくはない。要するに、今、目の前にその生きている姿を確認しているのでなければ、猫が生きているのか死んでいるのか、それはわからないのだ。

そして、その不確かさは猫に限らない。あらゆるものが、今、目の前で確認できるもの以外のあらゆるものが、不確かだ。そういう不確かな世界の中で、何のわずらいもなく生きていけるのは何故なのか。有り余る不確かさから呼び起こされるおびただしい量の不安から自由でいられることの理由、メカニズム。そういうものの存在によって、日々を平穏に過ごしながら、そういうものの存在に気付かない。だから、あまたある不確かさが不幸な事実に転じた瞬間に、人は驚愕し、奈落へと引きずり込まれる。その不確かさはずっと以前から用意されていたにもかかわらず。

そういう不確かさに日々おびえて暮らす人は、むしろ病気とみなされる不思議。