なぜAD/HDとASDがしばしば随伴するのか

なぜAD/HDとASDがしばしば随伴するのか。それは、AD/HDの衝動性が持つ攻撃的な面をASDの鈍感さが帳消しにしているからではないか。

shorebird.hatenablog.com 

この記事は、ヒトの攻撃性が抑制されて利他的傾向や協調性が生まれた進化的道筋について書いた本の書評なんだけど、その中で「処刑仮説」というのが出てくる。これは、攻撃的・暴力的な人は処刑によって社会から取り除かれるために、段々とヒトの攻撃性が抑制される、という説。この本では攻撃性を反応的攻撃性と能動的攻撃性の二つに分けて、

反応的攻撃は脅威に対する反応でテストステロンの濃度が関係する.怒りを伴い,しばしば感情を爆発させる.些細な侮辱から生じる殺人などがこの例だ.現代社会の多くの殺人はこのタイプの暴力によるもので,しばしば名誉や敬意が絡み,経済的文化的な影響を受ける.

能動的攻撃は冷静に計画された暴力だ.なんらかの目的のための意図的攻撃であり,怒りなどの感情表現は必須ではない.準備された奇襲攻撃がこの例だ.

として、処刑の対象となるのは反応的攻撃性であり、処刑制度を成立させたのが能動的攻撃性だとする。ここに、道徳の話が絡んできてとても面白いのでぜひ読んでみて欲しいのだけれど、今したいのはその話ではない。

反応的攻撃性が処刑の対象となるなら、AD/HDの人はその衝動性のゆえに真っ先に処刑されてしまいそうに思う。一方で反応的攻撃性の「しばしば名誉や敬意が絡み,経済的文化的な影響を受ける」という特徴は、ASDの人が疎いとされる社会的な感覚ではないかと思う。つまり、AD/HDとASDが随伴していると、AD/HDの衝動性が反応的攻撃性につながらない可能性があると思うのだ。もちろん、ASDを随伴しないAD/HDの人もいるけれど、両者が随伴するケースが多いことの理由に、こういう背景があるんじゃないかという、シロウトの思い付き。