ここが世界のまんなか

mukiryoku7.hatenablog.com

 

社会生活を営むのが難しくて、大学を不登校になっていた人。これの前のエントリーには、バイトをしようと思っても、軽んじられているように思えてうまくいかなかった話もある。

多分、いろいろこじらせていて、自分の外の世界が随分とねじくれて見えているのかなぁ、と思う。自分の思うようにならないことすべては、世界が悪いのが原因だと思っている。それはもう、見事なほどに、すべてについてそう思っている。自分は悪くない、悪いのは世界の方だ、と。

自分の世界を外側から見たことがないんじゃないかと思う。

 

昔、「ここが世界のまんなか」という看板を立てた店を見たことがある。そこは、海岸沿いの国道の脇で、かつて商業施設があったのが廃業して建物と駐車場だけが残っている場所だった。その店は、そこの駐車場に忽然と現れて、いつの間にか消えた。まわりは本当に何もない、ただ海岸から海風が砂を運んでくるだけの場所。だけど、そう宣言すれば確かに、そこは世界のまんなかだった。だって、まんなかとか中心とかそういうものは、定義によって定まるものなのだから。

誰だって、自分の居場所が世界のまんなかだ。そして、誰だってそうだということは、世界中に世界のまんなかは60億あるということだ。そして、世界のまんなかを定義できるのは、自分ひとりだけの特権ではない。どこの誰だって、自分と同じように、好きな場所を世界のまんなかに据えることができる。そして、自分が好きなようにそうしたいなら、誰でも同じようにそうできることを理解しなければならない。そうやって、みんなが好き勝手に世界のまんなかを定義して、てんで勝手に生きている。世界のまんなかなんて、そんなもんなんだ。