haiku(2015-07-17)から転載

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ここで言う"わかる"という言葉には、事情が分かるだけでなくて気持ちがわかる、というか共感する、という意味が含まれている。"わかってくれる"というのは共感するということ。たとえば、「道ばたでいきなり我が子を触られたら怖い」という気持ちについて、誰かが"そうだよね。あれって怖いよね"という時、"わかってくれた"となる。でも、同じ状況を"(見ず知らずの人が我が子を可愛がってくれて)うれしい"と思う人もいるわけで、だから、わかる人もわからない人もいて当然ではある。

こういう状況ではこう思うはずだ、という予測は、社会の中である程度共有されているはず(そうじゃなければ多分社会が成立しない)。だけれど、他人に対して"こう思うべきだ"というのを自明のこととして期待するのは、やっぱり違うことなんだよな。"なんか、わかってもらえないな"と思ったら、その事態は"今ここにそういうことがある"と受け入れるべきなんだろう。だって、実際にそうなんだから。それについて、さびしいというのはあるとしても、不満に思ったり不快に思ったりして自分の気持ちを無理やりなんとかして"わかってもらおう"とするのは、やっぱりやりすぎなんだよな。他人の気持ちは外から手を突っ込んで書き換えて良いものではないんだから。

自分の不快感を解消するために他人の有り様を自分の都合の良いように変えようとする。不快感を動機として他人に干渉する。そういう行為は、原則、有害なんだろう。