他者をありにままに理解することの難しさ

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/2965/adhd.htm

(2022年3月23日追記:上記ページのウェブアーカイブ

web.archive.org

ジオシティズの素晴らしいページ達は永遠に失われてしまったのだけれど、ありがたいことにこうやってアーカイブが残っている。ありがとう!!)

 

増田の「キチガイ母さん」ブコメに引用されてて、久しぶりに読んだ。読むたびに泣く。本当にいい文章だし、いいお母さんだなぁと思う。

 

他者の心のうちは、決して知ることはできない。それを知りたければ尋ねるほかはないし、そうしたところでその答えが本当のことかどうかはわからない。

でも、往々にして、自分の気持ちを相手の心に投影して自分勝手な解釈をして、それが当然に正しいと思っている。さらに、その解釈に立って、相手を非難したりする。私自身、そういうのが習い性になっているなぁと思う。

そういうところの対極にいるような息子さんと、それを理解できて応えられるようになったお母さんの話。

 

このケースではADHDが背景にあった訳だけれど、そういうことがなくても子育ての難しさは同じだと思うし、子育てに限った話でもない。

なぜ相手に存在しない悪意を相手の中に見いだしてしまうのか。それは、多分、自分を守るためなのではないか。自分がかつて誰かの悪意にさらされてきたから、そういう悪意によって傷つけられてきたから、だから、もう二度と傷つきたくなくて、傷つけられる前に鎧を身にまとうために、ありもしない悪意を見出してしまうのではないか。

 

いつもいつも不安な気持ち。傷つけられまいといつも身構えている気持ち。恐怖。それが、相手をありのままに理解しようとする素直さを邪魔する。

 

愛と恐怖は一緒にはいられない。