haiku(2014-04-12, 2016-06-04)から転載

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「否認」を覚えるのは病気に対する自然な感情だという。 …… まず否認で自身の心を守り、徐々にその事実を受け入れて、正しい知識を学びながら病気という現実と向き合う。そこに「否認主義」は間違った情報を入れて、否認状態を続けさせ「不適応」化させる。否認主義に陥らないために重要なのは現実主義的なアプローチだという。HIVに限らず様々な病気に関する知識を全て理解するのは不可能だ。そこで重要なのは医師・科学者・専門家に対する信頼である。『すべては信頼に帰結する』(P271)のである。

結局、科学はシロウトにとっては信頼の対象なのだ。したがって、それは権威であり、権威に対する憎悪(弱者たる自分を守ろうとしないものに対する憎悪)を抱えている人にとっては決して協働できる相手ではない。それはむしろ自分を陥れる事を狙っている連中だ。彼らがそういうものに信頼を置こうとしないのはむしろ自然なのだろう。

なぜ権威を憎悪するのか。なぜ任意の他者への信頼が確立できないのか。自尊心が低めだとそうなのか。いずれにせよ、引用にあるように、これは、科学あるいは科学の成り立ちについての理解というよりも、他者に対する信頼の問題なのだと思う。欠如モデルが批判されるのも、そういう背景があるんだろう。対策としては、科学という権威に対して信頼の獲得を目指すのではなくて、一般に権威に対して信頼する力を醸成するという事なんじゃないだろうか。つまり、科学教育とか全然関係無くて、他者を信頼して互恵関係を築く事を恐れないとかそういう精神を養う事。具体的にそれが何なのかはよく分からないけど(少なくとも道徳教育とかではないよね)、そういう事ができれば、世の中もう少し合理的に動くようになるのではないかと思う。

なぜ任意の他者への信頼が確立できないのか。他者に対する信頼の基盤はエリクソンの「基本的信頼感」らしい。これを獲得するような養育者との関係を保証できるようになればいいんじゃないか。